シーソーゲーム (Seesaw Game)
打ち合わせネタをもう一つ。
お客様や社内での打ち合わせで、会議がうまくいったなー。と実感するためのバロメーターとして私が気にかけていることに、「バランスが取れていたか?」があります。
会議の目的が曖昧だと、些細なことにみんなが一生懸命議論して時間が過ぎてしまったり、全体が見えていないと、どこまで議論すれば良いのか分からなくなったりしますよね。
そのような状況は、具体的な議論に意識が集中するあまり、いわゆる「木を見て森を見ず。」に陥っているのだと思います。
迷子になっているなー。と感じ始めたら、私の場合は、ちょっと雰囲気を変える努力をしてみます。それは今の状況と「逆」の話題に置き換えると言うことです。
例えば個別の議題(ミクロ)に対して議論していても、それが煮詰まっているのであれば、「それって全体的な視点(マクロ)から見たらどう言う位置付けになるんだろう?」とか、お客さんにどうアプローチすべきかを現状から推測(帰納的)しても結論が出ないときは、「お客さんはこうしたいと思っているはずだから、その仮説からやるべきことを決めよう(演繹的)。」などです。
上の図のように、具体的に追求してく思考法と抽象的に発散していく思考法は、脳の使い方が違うと思うんですね。どちらかに偏っていると、疲れてくるんです。
うまく右側と左側のバランスを取りながら頭を使えるように会議を進めると、より生産的な議論ができるのではないでしょうか?
シーソーのように全体感を見てファシリテーションができるといいなと思います。
ちなみに一番難しいのが、緊張してピリピリしている会議で、一発ジョークを飛ばしてみんなをリラックスさせることです。これは本当に難しい。
お客様や社内での打ち合わせで、会議がうまくいったなー。と実感するためのバロメーターとして私が気にかけていることに、「バランスが取れていたか?」があります。
会議の目的が曖昧だと、些細なことにみんなが一生懸命議論して時間が過ぎてしまったり、全体が見えていないと、どこまで議論すれば良いのか分からなくなったりしますよね。
そのような状況は、具体的な議論に意識が集中するあまり、いわゆる「木を見て森を見ず。」に陥っているのだと思います。
迷子になっているなー。と感じ始めたら、私の場合は、ちょっと雰囲気を変える努力をしてみます。それは今の状況と「逆」の話題に置き換えると言うことです。
例えば個別の議題(ミクロ)に対して議論していても、それが煮詰まっているのであれば、「それって全体的な視点(マクロ)から見たらどう言う位置付けになるんだろう?」とか、お客さんにどうアプローチすべきかを現状から推測(帰納的)しても結論が出ないときは、「お客さんはこうしたいと思っているはずだから、その仮説からやるべきことを決めよう(演繹的)。」などです。
上の図のように、具体的に追求してく思考法と抽象的に発散していく思考法は、脳の使い方が違うと思うんですね。どちらかに偏っていると、疲れてくるんです。
うまく右側と左側のバランスを取りながら頭を使えるように会議を進めると、より生産的な議論ができるのではないでしょうか?
シーソーのように全体感を見てファシリテーションができるといいなと思います。
ちなみに一番難しいのが、緊張してピリピリしている会議で、一発ジョークを飛ばしてみんなをリラックスさせることです。これは本当に難しい。
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